午前6時の現実

W杯第3戦
ブラジル戦。
1−4。惨敗。
GKまで控えが登場するおまけ付。


これが日本サッカーの実力である。
はじめから予想していたことなので、
ガッカリとか残念とか思わない。
むしろ、セットプレーではなく
流れの中から1点を先制したことに
驚きを隠せない。
日本サッカーの将来に繋がる1点と思いたい。
願わくば、帰国した選手たちに卵をぶつけたり、
罵声を浴びせたりしないでほしい。
例え、交代で出てきて5分で負傷したT原に対しても。
われわれにその資格はない。
それをしていいのは代表に選ばれなかった候補選手や
ベンチで声を枯らした補欠選手、
裏方でサポートしてきたスタッフたちだけ。
戦った選手たちが悔しさ、惨めさを感じている。
そして何よりも監督として戦ったジーコが一番悔しかったことあろう。
どんだけ自分自身がピッチで戦いたかったか、
どんだけ不甲斐ない選手たちを怒鳴りたかったか。
それを我慢しての惨敗。
ジーコの胸中や如何に。
中田の涙はそれを表していると感じた。
孤独なまでの叱咤。
それはすべてジーコ監督の心境を代弁したものだろう。


Jリーグ開幕と同時にジーコが日本に来て早十数年。
鹿島アントラーズの1員として戦った開幕戦の
ハットトリックは今でも目に焼きついている。
「これがプロの世界だ」と言わんばかりのシュートをゴールに叩き込んだ。
ジーコの言うとおりまだまだプロ意識が足りないのだろう。
別にサッカーをやめても居酒屋やったり弁護士になってりで、
生活に困らない。必死にやらなくても。
そんな意識の混在する代表チームではまだまだ世界に通用しない。
国内リーグの充実も日本サッカーの実力向上に欠かせないが、
それ以上に若い頃の草サッカーがサッカーセンスを磨く。
ユースのクラブチームに入って練習するのもいいけど、
遊び心のあるプレーは遊びの中でしか生まれない。
その発想がゴール前での相手守備の攻略に繋がる。


研究の世界も同じと感じる。
日本人研究者と世界との実力差も同じよう。
発想の違いが実力の違いに現れている。
欧米人、特にアメリカ人の発想は実に面白い。
テロの首謀者ビンラディンを探すために、
小型カメラを取り付けた風船を何万個も飛ばせばいい、
蚊のような小型ロボットを飛ばして血液DNAをサンプリングするなどなど、
一見アホみたいな考えに思わぬヒントが隠されていたりする。
固定観念にとらわれない自由な発想が
研究力を底上げしている。


素人発想玄人実行。
研究もサッカーも根底は同じ。