論文は名刺

何人かの研究者と意見交換をしていて、
こちらのアイデアやこれまでの研究などを紹介する際、
「それの論文送ってもらえる?」
と、よく言われる。
恥ずかしながら、送るほどの論文がない。
研究者にとってみれば、論文は実績や研究概要を示すもので、
この研究なら誰々、あの人ならこの研究みたいに名刺のよう。
さびしい業績欄では研究費も獲得できません。
頼みますよ、社長。


篤姫』→宮崎あおい
渡る世間は鬼ばかり』→橋田壽賀子
『シャカリキ』→_____??まだ早い。


『それが大事』→一発屋
たまに悪いイメージの代名詞に使われます。

学会

作物学会に参加してきた。
新たなシーズを探しに。
チャレンジしたい研究のアイデアがいくつか出てきたが、
もちっと情報収集をすることにしよう。


昨年から、所属学会以外の関連学会にちょくちょく参加している。
異分野の研究に新たな発見をしたりする。
学会ごとに違った特徴があり、
研究の方向性やまとめ方などそれぞれ興味深い。
服装や男女比なども特徴的。


この春参加した日本生態学会では、
スーツ姿にネクタイの人はごくわずか。
みな、バックパックのでかいリュックにジーパン、スニーカー。
一方、昨日の作物学会は多くの人がスーツ。
なんだかお堅いイメージ。

恥ずかしながら、この歳になって読書の楽しさが分かってきた気がする。
ブロク休止中に読んだ本の中で、印象的な(記憶に残っている)ものをあげておこう。

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか

最近の興味は生態・進化。
で、タイトルに惹かれ読んでみたところ、
かなり面白かった。というより、大変興味深い。
なぜ病気になるのか?特に遺伝病について理由づけられている。
適応進化的には遺伝病の類は生存上不利であるため、
淘汰されてしまうにもかかわらず、
なぜ、多くの遺伝病が今もなお存在するのか。
病気と引き換えに得た利点とは何か?
などなど、なるほどと思わせる一冊。


したたかな生命

したたかな生命

上記の迷惑な進化を読むきっかけとなった本。
ロバストネスという言葉を初めて知った本でもある。
ロバストネスとは、簡単に言うとしなやかさ、柔軟さといったところ。
台風で強い風に遭っているヤシの木を想像しよう。
大風にあおられて、今にも折れそうにしなっている。
しかし、折れない。
しなることで上手に風をいなしている。
これがロバストネス。
もし、ヤシの木がしなることのできない強固な構造だったら、
あっという間に折れてしまうだろう。
生命には様々な状況に柔軟に対応する能力があり、
その結果、多種多様な生態系が作られている。
私を新たな境地に誘った貴重な一冊。


病原体進化論―人間はコントロールできるか

病原体進化論―人間はコントロールできるか

上記2冊の影響を受けて読んだ本。
寄生者と宿主は長い年月をかければ互いに穏やかな関係が築かれる。
共利生存の関係になるはずなのに、
エボラ熱や、コレラマラリヤなど
世の中には非常に凶暴な寄生者が存在する。
宿主を破壊するほどの病状は寄生者にとっても不利になるにもかかわらず。
なぜか?
さらに、さまざまな病状は防御反応かそれとも寄生者による操りか?
いかに病原体をコントロールするかという問いに答える一冊。
病原体の生存をかけた様々な戦略が垣間見れる。
文章が専門的で非常に読みにくいため、
あとがきから読むことをお勧めする。


破裂

破裂

上記3冊とはまったく関係のない本。
医療ミステリー。
高齢者医療問題に焦点を当てた作品。
いろいろ晩強になります。


ミッキーマウスの憂鬱 (新潮文庫)

ミッキーマウスの憂鬱 (新潮文庫)

タイトルに惹かれ買ったもの。
夢のテーマパークの、嘘か真ともとれる裏側を舞台にした作品。
ちょっと見る目が変わります。
最後の方は、おいおい踊る大捜査線だよ、と突っ込みたくなる。
はい。
あなたはパーマネントでわたしはポスドク
おあとがよろしいようで。

シャカリキ


宣伝も兼ねて。
いわゆるスポ魂ムービー
チャリんこではなくロードレーサー
ロードレースのスピード感を楽しめる作品。
最後のスタッフロールでニヤけた。
愛を感じます。
わかる人にはわかる。わからない人はおそらく一生わからない。
気になる人はぜひ見に行こう。
原作を大幅に変更したストーリーのため、
原作を知らない人の方が楽しめるかも。

近況

いまだ定職につけず、
パートタイムアルバイター
4月からポスドクの予定が、採用がずれ込み
前期を学生実験の非常勤講師として過ごした。
今はまた豆プロジェクトのポスドクとして二股研究生活。


社長の預けた論文は1年3カ月の熟成を終え、
やっとワインリストに載った感じ。
フルボトルで一気に行けるか、グラスワイン行か。
今はグラスワインのようにちょびちょび添削中。
昨今のメークレジェンドの影響で、そのペースも落ちつつある。
いっそのことやけ酒みたいに打ち込んでもらえたらありがたいが。

生命倫理コミュニケーション講義

生命科学研究科の授業にはそのような授業がある。
研究者としてのコミュニケーションについて学ぶ授業で、
自分の研究を小中学生向けに話したり、
実際に病院で遺伝子治療の方針説明会に参加したりする。
その授業の1コマで、
NHK環境科学部専任ディレクター村松秀氏のセミナーがあった。
授業自体はとってないが、参加自由ということだったので聞いてきた。
村松氏はNHKドキュメンタリーで論文捏造に関する番組を作成した人で、
『論文捏造』の著者でもある。


内容は著書の『論文捏造』に沿ったものだったが、
後半は報道の立場から見た研究者という話だった。
報道関係者と研究者という違いはあるが、
実験(取材)に基づく論文発表(報道)という点でよく似ていると思った。
そして、論文捏造も『あるある』の捏造も構造的によく似ている。
ポスドク問題があるようにフリーランスのカメラマンやディレクター問題もある。
どちらも焦りやプレッシャーから捏造する。


研究をとりまく環境の変化も指摘していた。
原理や真理を追究する研究から、技術につながる研究へ変わった。
そしてそこには、国家的戦略の資金が供給されプレッシャーも大きくなった。
しかし、研究者は何も変わらない。
その歪みが捏造を引き起こす。


最後に、真摯な態度で研究をしてほしい、と。
そして社会へ『伝える』ではなく『伝わる』コミュニケーションを、と。
ゼミや学会発表も聞き手を意識した発表が大事なわけで、
わかりやすく説明するためには、複雑なことをより単純化する必要がある。
どっかのキャリア・パスセミナーでも同じようなことを聞いた。
さすが、全国民を相手に報道しているだけのことはある。

複雑なものを単純に

花が咲く。
そのためには形態的変化や、
開花するための複雑なシグナル伝達など様々な現象が関与する。
そういう複雑なシステムを単純化することが
研究するということらしい。
と、どっかの本で読んだことがある。


今日、お隣の研究室の博士論文発表会があった。
そこで感じたことは、
単純なことを複雑化し、そしてまた単純化するのが研究なのか、ということ。