締め

修士論文発表会の季節です。
3年間の研究成果をまとめ、発表します。
予行ではズタズタだったものが、
よくまとまりました。
データの足りないところやツッコミどころは満載ですが、
大丈夫です。
失敗しても、落第することもないので、
気楽に挑んでほしいと思います。
そもそも、落第することがないっていうこと自体おかしいのですが、
そういうシステムなので、仕方ありません。
もう少し出口が狭ければ、
この4年、あるいは6年間はもっと違うものになっていたでしょう。
残念なことです。


何はともあれ、卒業おめでとう。


以下は、あまりにも稚拙で、しょーもない話で、
残念なことばかりなので、自主的にお見せしないようにしました。
興味のある方は領域選択で、反転してお楽しみください。



この時期の各人のラストスパートには
毎度、驚かされます。
実験の失敗や人間関係などで、
研究室に来るのさえ嫌々だったことを思えば、
この1ヶ月のがんばりは、十分2か月分くらいの評価には値します。
でも、やっと終わりのときがやって来ました。
これまではイヤイヤやっても給料が入るわけではありませんでしたが、
これからはやったらやった分だけお金が手に入るので、
モチベーションも違うことでしょう。
残念なことです。


しかしながら社会に出たら
仕事の95%はどうでもいいような、好きでもないことを
仕方なくやらなくてはなりません。
やったらやった分だけ手に入るお金も、
自分の価値観ではなく、あくまで会社の価値観が基準です。
残念なことです。


夜型だった学生が、
社会人になったら朝型になりますって、よく聞きます。
つまりお金さえもらえれば、早起きをするということでしょうか。
けど、そのモチベーションを維持するには
あまりにも少なすぎる給料しかもらえません。
残念なことです。


変われる人間は、社会人になったらとか、
お金をもらったらとか、新年になったらとか
キッカケは必要ありません。
変わろうという意思さえあれば、明日からでも変わります。
結局のところ、甘えた道を選択し、
自らを律することを忘れてしまったのでしょう。
残念なことです。


社会に出たら、
ぜひ、自立するとともに自律してほしいものです。
仕事の失敗を3回するのと
遅刻を3回するのと、同じくらい信用を失います。
仕事の失敗3回分は仕事の成功3回分で十分リカバーできます。
一方、遅刻3回分は時間通りの行動3回分ではリカバーできません。
遅刻をしないということが当たり前だからです。
しかも失う信用は時間に対してだけではありません。
当たり前のことができない人間としてのレッテルを貼られてしまいます。
残念なことです。


そもそも「当たり前のこと」自体曖昧なもので、
よく「社会人としてのマナー」とか「社会性」とか
「礼儀」などと言われたりします。
やむを得ず遅刻することだってあるし、
外国に行けば時間にルーズなことが「当たり前」かもしれません。
精神論や心理学的な見解から意見もあることでしょう。
しかし、そんな議論は不要です。
やるべきことは、有無を言わずやらなければならないのです。
ガチャガチャ口で言う前に、まず「当たり前のこと」をやって見せて、
議論はそこからです。
できもしないのに、できもしないから反論しているとしか
思われません。
残念なことです。